OPAC使えないよって話
※書き散らしメモのため文章が酷いです。後で清書したいと思います。ごめんなさい。
OPACで検索できる資料数がAmazonで検索できる資料数に比べてとっても少ない
- 一般人にとってOPACは最早本の検索エンジン。この館にあるとかないとか、そんなの関係ねぇ!
- 大体、自館にあるモノしか提示してこないから、ILLとかリクエストとか認知して貰えなかったんじゃないの?それに図書館の使命は利用者が必要とする情報の提供なんだから、自館にあるとかないとかそんなのは小さな問題じゃない?目録は利用者のために作ってるんじゃないの?
⇒OPACにはMARCデータ全部つっこんで自館で既に持っているデータと共存させる、とかして、とにかく世界にある本は全て引っ掛けてこよう!
- 利用者が「あ、コレ読みたい」と思った時にはじめて「じゃあ自館にあるからどうぞ」とか「うちは所蔵してないから他館から取り寄せるね」とかそういう話にしようよ。
- もちろん「すぐ読みたいからこの館にある資料だけ教えてよ」という利用者のために「自館所蔵資料だけから探す」っていうオプションを設けるのはOKだよ。
追記
書き直すと言っても面倒なので(ぉ、軽く追記するにとどめます。
「図書館での選書はフィルタリング効果もある。あまり検索対象を広げすぎてはノイズが入らないか?」→はい、ごもっともです。本気で世界中の本を引っ掛けてきたら大変なことになりますね(^^;
しかし、一自治体内の公共図書館くらいの規模では、資料の絶対数が少なすぎてそれはそれで使えないのも事実です。現実的にはWebcatあたりと連携できたらいいかなーと思っています。
「OPACはそもそも目録なんだし、そういうものなんだよ」
→OPACは目録だというのはTrueだし、図書館の中の人から見ればそれはそうなんですが、それはあくまで中の人の理屈であって一般利用者には理解しにくいです。この辺、中の人と外の人に意識の乖離があるので、図書館側が資料検索システムの面でも歩み寄らないといけないんじゃないか、というのが本エントリの主旨でした。
学校の授業で宇陀則彦先生が、大学図書館サイト等の使えなさに触れて「これからの図書館(員)はユーザーが自分たちに声をかけてくることを前提とするのではなくて、自分たちに声なんかかけなくてもオンラインで全てユーザーの課題が解決するようなシステムを設計するくらいでないと生き残れない」といったことを仰っていましたが、大変感銘を受けました。ユーザーの情報検索行動を制御するアーキテクターとしての図書館員、面白いコンセプトだと思います。