学校に自浄作用なんか期待してもムダ
以前、高校の履修漏れが問題となりました。高校が進学率上昇にやっきになり、大学進学にあたって「いらない」科目を蔑ろにした結果です。この問題で恐ろしいのは、高校そのものが生徒の学習権を奪っていたという事実以上に、そんな権利侵害を数年もの長い間誰も気づかなかったことです。
現行制度では、学校という国家がお墨付きを与えたはずの機関の中でこのような悪質な行為が行われていたとしても、刑事罰に問われるような重大な犯罪でもない限りなかなか気づけません。
またこういう行為が発覚したとして、当の学校の自浄作用なんか期待してもムダです。学校に限らず企業でもなんでもそうですが、よほど清廉潔白な人格者の英雄的な活躍がない限り、必ず組織は保身に走ります。「なぜ今まで隠していた」などと、この行動を責めても意味がありません。保身は本能だからです。
現状では、一時的に少々世論の非難を浴びたところで、適当に要らない科目の手を抜いて教育した方が進学率も上がるし指導もしやすく、高校にとって得なことばかりです。手を変え品を変え、また何度でも同じことが繰り返されるでしょう。
履修漏れだけじゃない、いじめだってそうです。いじめ問題と真っ向から向き合って解決するより、適当に世間と生徒を言いくるめて隠匿する方が楽だし、得です。
つまりこのような事態を阻止するためには、第三者による監視と質保証が不可欠なのです。