図書館学徒未満

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図書館は格差の固定や再生産に加担しているかもしれない問題

 

図書館を文化資本の格差是正装置として期待する声は多い。しかし本当に、図書館は文化格差・知的格差の拡大防止や解消に貢献しているのだろうか?

この問題について、本稿ではまずid: yuki_o 氏らの興味深い調査『社会階層と図書館利用』を紹介する。

これは国会図書館が平成26年度に行った『図書館利用者の情報行動の傾向及び図書館に関する意識調査』という調査結果の分析だ。yuki_o 氏らはこのデータから回答者を「文化資本」「経済資本」「社会関係資本」の3つの軸で分類し、それぞれの図書館利用実態を検証した。

もし図書館が文化格差の拡大防止に貢献しているのであれば、文化資本を持たない層がより積極的に図書館を活用しているはずだ――えっ、そんなはずある訳ないって?

そう、そんなはずなかったのだ。

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「高学歴者ほど図書館を利用している割合が高い」

「高学歴者ほど図書館を利用している割合が高い」

大事なことなので二度言いました。

 

このことは経済資本とのクロス分析で見るとなお顕著だ。経済資本条件を統制してなお、高学歴者の図書館利用率は高い。

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余りにも簡単に予想でき、あまりにも身も蓋もない事実だ。今現在文化資本を持たないひとは、自ら図書館を利用しようなどと思わないのである。そして図書館は学校と違い、利用しようと思わないひとに強制的に利用させることはできない。

 

図書館が主に高学歴者によって利用されているのであれば、図書館は格差の解消どころかむしろ拡大・再生産に加担しているかもしれないのでは? ((元リンクをたどっていただければ分かりますが、本研究の原著者たちは相関を指摘するにとどめ因果を見出してはいません。

 もし本稿にて因果関係について踏み込んだ解釈が読み取れるとしたら、文責はすべてaliliputにあります。ぜひ元データをご参照頂いた上で、ご意見ご指摘を賜れればと思います。))

そもそも、図書館に格差の解消という役目が原理的に可能なんだろうか?

 

この研究が敷いているであろうブルデューは、文化資本の再生産メカニズムの存在を指摘し、文化資本は世代間で継承されるものだと主張している。

また、安藤寿康氏などの遺伝論者は、そもそも知能は遺伝によって親から子に受け継がれるものだと主張している。

遺伝子の不都合な真実―すべての能力は遺伝である (ちくま新書)

遺伝子の不都合な真実―すべての能力は遺伝である (ちくま新書)

 

 

 

 

別の側面からこの事態を検証してみよう。

財団法人 出版文化産業振興財団『現代人の読書実態調査』2009

によれば、親が読書好きであったほど子どもも読書好きの傾向にあると報告されている。

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読書好きの傾向というのは「遺伝」するのだろうか?つまり、文化資本が高い親から生まれ育てられない限り、子どもも高い文化資本を持つことはできないのだろうか?

もしそうなのであれば、図書館による格差の解消もへったくれもない。生まれが全てを握っている。図書館は無罪だし、無力だ。

 

この問題に対する見解はどうやら専門家の間でも割れるようだ。知能がどこまで器質的に遺伝するのかという問題は、教育学者から大脳生理学者、生物学者など多くの研究者の論争の的になってきた。

頭のでき―決めるのは遺伝か、環境か

頭のでき―決めるのは遺伝か、環境か

 

 多分図書館学徒や教育学徒の多くは、知能が遺伝するという説に与しないだろう。そうじゃない事例を多く目の当たりにしてきているからだ。ただし世の中にはそう思わないひとも多くいる。ニスベット『頭のでき』は、知能と遺伝の関連について調査した研究をメタアナライズし、それらの論点に詳細な解説を加えている。

さて、知能は「遺伝」しないまでも「継承」することは確かなようだ。生まれつき札束を持って生まれてくる子どもはいないが、それでも親の経済力が相続によって子に継承されるように、知能もまた継承される。そのメカニズムの一端を、『現代人の読書実態調査』は以下のように示している。

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読書量は親からの読み聞かせと明らかな相関がある。読書習慣は器質的な遺伝ではなく、親からの読み聞かせという行為を通じて親から子に継承されるのだ。このことは次の学校における読書教育が如実に示している。

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学校における読書教育も、親による読み聞かせと同じくらいの効果を上げることが分かる。学校は子どもを産まず育てるだけだから、これは遺伝ではなく環境による成果だ。

 

同様の指摘は、文部科学省お茶の水女子大学に委託して行った全国学力・学習状況の調査研究でもなされている。

「平成25年度全国学力・学習状況調査(きめ細かい調査)の結果を活用した学力に影響を与える要因分析に関する調査研究」(国立大学法人お茶の水女子大学)2014

こちらでも、家庭の社会・経済資本に関わらず読み聞かせ等を通した読書体験を増加させるような試みによって子どもの学力の向上は可能だと指摘されている。 *1

 

しかし図書館は学校ではない。文化資本を持たず、したがって図書館を利用しようという発想のないひとたちに無理やり来館させることはできない。図書館はあくまで、自分で利用したいと考えるひとに対してサービスを提供する場所だ。

ということは、やはり図書館には格差を解消する能力はないのだろうか?

 

そもそも図書館の役割を考えると「文化資本の格差を解消する」ことが図書館のミッションになるのだろうか。格差解消はあくまで社会というマスに対する介入であり、個別の対象への支援を直接の業務とする図書館とは性質が異なるものだ。だから、図書館が直接に格差解消を業務とはできないし、する必要もない。

ただし、格差解消を目的とした別の機関を支援することはできる。

例えばブルデューとニスベットも指摘した通り、学校は階級の再生産システムにもなれば格差解消に大きな力を持つ機関でもある。もし学校が自校の担当地域内の格差解消を目指した場合、図書館にはその活動を支援することで格差解消に貢献する道が拓かれる。

 

図書館とは一体何をする機関なのか、そのことに未だにいまいちコンセンサスが取れていないという点が、図書館行政をめぐる混乱や図書館の立ち位置の悪化につながっているように思える。この辺りの理論的検討は一体今どこまで進んでいるんだろうか?素人質問で恐縮ですが、なにとぞご教示頂けますと幸いです。

 

 

 

*1:本研究については

synodos.jp

こちらの記事もご参照ください。