図書館学徒未満

図書館学に関する本を読んだり調べごとをしたりしています。はてなダイアリーから移行しました。

でも本題はそういうところじゃなくて

反対派の皆様のご意見は
「そりゃー条文を好意的に解釈したら安全安心なんだろ?でもそうじゃない!政府なんか信用できるか、あいつらはどんな風に恣意的に運用するかわかったものじゃない!!」
なんですよね?
もしそういった、政府は一切信用ならずどのような条文を制定しても無意味であるという観点に立つならば、条文の精査は意味がなくなります。
条文の問題ある表記をこのように修正せよ、という提案ならともかく、当該法の成立そのものがまかりならぬという反対意見は、このような政府に対する根強い不信感が元になっていると思います。


それで、例えば刑法に基づく犯罪者の逮捕は警察が行っており、もし警察が恣意的な基準に従って不当逮捕を行った場合は司法機関がこれを検証することになっていたかと思います(この解釈あってる?)
つまり、たとえ警察が信用できなくとも裁判所が信用できれば刑法は問題なく運用されると信じられる訳です。

特定秘密保護法の場合、警察の役割は各行政機関が、裁判所の役割は内閣が果たすイメージだと思います。行政機関の皆様はおとなしく内閣の言いなりになるようなタマではない*1し、我が国においては内閣がコロコロ変るので、政権交代が適切に行われているならば検証制度としてはそう悪くないと個人的には思っています。

「内閣だって行政機関なんだから、行政機関同士チェックが甘くなるだろ!」というご意見がありますが、この「行政機関同士だからチェックが甘くなる」のは何故なのかがわからないです。
内閣(総理大臣)は選挙で選ばれていてコロコロ変ったりしますが、行政機関職員の大半は公務員として雇用された方々で選良ではありません。官公庁ひとつとっても、内閣と完全に利害が一致しているとは思えない事例が多々あります。なぜ行政機関同士だとチェックが甘くなるのでしょうか?


この辺りのところ、実際には、そして法学・政治学分野ではどういう見解があるんでしょう?


「内閣のやることなすこと信じられるか!」が市民として望ましいスタンスなのか、
「我々が信任した内閣なんだから」と一定の信頼をもって日々の運営を委任するのが筋なのか。


こういうことに正解はないと思います。皆様ご意見は色々あるでしょうし、立場の多様性がバランスのとれた健全な社会を生みます。
その上で、そういうことを専門に研究してこられたであろう学問分野では今までどういう議論がどこまで積み重なっているのか、ご教示いただけますと幸いです。
「この本読め!」とかいうリスト、大歓迎です。その場合、なぜその本をご紹介いただけるのか、その本を読むと何がわかるのかを簡単に教えて頂けますと大歓喜ですし、ほかのひとにも役に立つと思います。


以上の通り、どうぞよろしくお願いいたします。

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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*1:我が国の行政機関が内閣と一心同体で足並みがそろっているなら、そもそも脱官僚政治などというスローガンは生まれなかった訳で……おや宅急便かな?