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図書館学徒未満

図書館学に関する本を読んだり調べごとをしたりしています。はてなダイアリーから移行しました。

生活の中にある身近な差別

なおモスクの件以外にも、日本人は差別だという自覚がないまま差別行為をすることで知られており、たまに日本の外でも軋轢を起こしています。

例えば、日本では普通のこととして受け取られている従業員採用時の年齢確認ですが、これはグローバルな基準では差別です。年齢は「本人の努力ではどうしようもないこと」であり、それに基づいて「採用するか否か」の評価をするので差別に当たります。
ただもちろん、求人条件として「20年以上働ける人」を提示するのは、それが妥当であれば構いません。

一方日本では「差別」とみなされている「学歴差別」ですが、これは反対に海外では差別とみなされません。人間は努力しさえすれば東大でも京大でもハーバードでも希望の大学に行き希望の学問を学べるのだから、学歴は「本人の努力ではどうしようもないこと」ではありません。また受けてきた教育や学業成績で本人の資質を判断する行為は正当です。従って学歴での選別は差別ではありません。


日本国内でも、最近では被災者に対する差別をそこここで見ます。
「畸形児の孫が生まれると嫌だから、福島県出身の女の子とうちの息子を絶対に結婚させない!」と息巻いている人もいますが、それは明らかに差別です。2011年3月11日に福島県内に居住していた、という過去は、如何に努力しようとどうしようもできません。
また、たとえ畸形児のお孫さんが生まれる確率が100%だとしても、そのお孫さんの両親である息子さんとその妻がそのことに納得済みなのであれば、自分の息子とはいえ他人の婚姻や出産に反対する行為は不当です。


実際には明快に「差別」「差別じゃない」と線引きできない事例も多くあります。しかしそのような事例は「正当か不当か(法令に抵触しているか、現実に不利益が生じているか否か)」「実際の行動か否か」「本人の努力ではどうにもならないことか、どうにかなることか」といったいくつかの軸から検討することで、多少なりとも建設的な議論ができるはずです。


「差別なのは分かったけれど、でも差別感情を持ってしまうのは仕方がない」という意見もあります。そうですね、差別感情を持ってしまうのは仕方ありません。
人間には内心の自由があります。心の中ではムスリムなんて全員テロリストだよね、とか、福島県民全員去勢すればいいのに、と思っていたとしても自由です。まったく構いません。


しかしその気持を表に出すのはやめませんか?


嫌いな人、理解できない人、好きになれない人を無理に受け入れようとする必要はありません。しかし、それでも、差別は悪いことなのです。