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図書館学徒未満

図書館学に関する本を読んだり調べごとをしたりしています。はてなダイアリーから移行しました。

製作意図

私はこれが嫌いだ!  ----良くてこいつらはバカで愚か、最悪の場合は思い上がっていて傲慢だ。----何が要点なのか?実際、誰がこれを読んだのか?でもこの言葉をググって出てくる大量の(なんちゃって専門家による)詳細記事は、どうやってこれを書けばいいかアドバイスしている―ように見える。


いきなり、現代において製作意図の執筆は芸術家であるために物凄く重要な必要条件になったのか?私はアマチュアの芸術愛好家が本当に充分満足していて、自分が真の芸術家であると思いたいがために製作意図を書きたいと思っているとはちょっと思えない。でもそいつらは明らかに、本当に真なる現代芸術界なるものを真剣に探しているように見える。そこでは、製作意図におけるうぬぼれはより深刻で悲痛な(特に前述の現代芸術界は大騒ぎする)ものとなり、我々が芸術(作品)の模索や取り組み、芸術的な無限の苦闘への感心、彼此の二重性などを非常にばかにしているといって苦しんでいる。ウゲー!


いくつかの例を適当にあげてみよう。"私は哲学的概念を芸術的視覚体験に翻訳することで知識システムを研究している。" "何かが破綻しつつもまとまっている瞬間の研究から、私は人間の様相について生きたメタファーを得られる" わお、神業だ!ところで彼等はちゃんと絵も描くのかな?----まるでこう言っているようだ。:私の芸術、事実それ自体によって、私の人生は意味を持つ----郵便局員や銀行員は彼等の職業選択の在り方を正当化する必要があるのか?


ふむ、多分彼等は実際に何か役に立つことをしているからじゃなくて----芸術に目的は無い、理由も無い----単なる死ぬ運命にある鑑賞者(読者!)を馬鹿みたいな気分にさせ、彼等に対して全てを説明しようとしている。できれば不透明で非包括的なやり方で。それで鑑賞者は畏敬の念を持って芸術家の才能を評価できる。


なにもこの口実を正当化しない。猥褻なポルノを描くのはいい。賞賛されもするだろう。それでもし"典型例を通じた女性性の探求"のような、なにか偽物の(新語法)説明を存在理由の一部として行ったとして----それは芸術家は芸術より重要だと言っているのか?


驚くべきだろう最近の兆候は、私が今使っているつまらないブログを書くところ、Facebookで見つけた。----とにかく、くだらない。----どうしてお前がトレヴァー・ブラウンを描いているんだ?わからない。それは私がすることだ。そしてしょっちゅう、私はそんなことをしたくないと思ってる!----神が私にやれと?


そして結局、私は何度もそう言っている。はっきり言葉で言うとしたら、
そ ん な も の を 描 く 必 要 は 何 処 に も な い ん だ。


話は以上だ。イーゼルに戻れ:)