図書館学徒未満

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利用者はただ消費するだけ?-----ユーザーの恩返し

ニューヨーク公共図書館の報告では、大規模で華やかなサービスや運営の実態にも胸がときめくものがあります。
しかし何より胸を熱くするのは、利用者はただ与えられるものを受け取り、たまに文句を言うだけの存在ではなく、図書館を共に作り、運営していく仲間であると位置づけられている点です。

この関係が真に理想的なものであるとき、利用者からも司書からも「自分は一生懸命やっているのに、あいつらは分からず屋だ」という類の愚痴は消えてなくなるでしょう。利用者は、自分が利用している図書館に足りないものがあると思ったら、利用者自らその問題を解決するためにアクションを起こすでしょう。また図書館側も、自分たちだけで解決できない問題が現れたら、その問題を図書館の外の人々に説明し、臆面なく助けを求めるでしょう。

このような理想的な関係を築くために図書館ができるアクションとしては、普段から予算や人員などの詳細な運営体制についての情報を公開し、利用者に対する説明を行う必要があります。
また、図書館に手を貸したいと思ってくれた利用者を受け入れる体制も常時整えておかなければなりません。


しかし、このような体制を整えるのも、それはそれで茨の道です。最近流行のモンスターペアレントではありませんが、全くの善意で余計なお世話をしていく利用者も数多くいるでしょう。そういう人たちをあしらうのも骨が折れます。地道な利用者教育も欠かせません。

でも「自分たちだけで解決できない問題は、遠慮せず外部の人に助けてもらう」という原則を適用したら、たとえば利用者教育の負荷を減らす以下のような方法をざっと思いつきます。

  • 地域の図書館学講座を持つ大学に市民講座を開いてもらう
  • 地域の司書資格を持つ人、既に図書館内でボランティアとして勤務している人などにお願いする
  • 図書館友の会を組織し、その内部で何らかの学習システムを築く

その他、もっと調べれば利用者教育に関するノウハウが見つかるかもしれません。

このような、利用者を積極的に巻き込んだ図書館運営が必要だと主張するのは、何も運営のコスト削減のためではありません。利用者支援は、利用者を抜きにしては原理的に不可能だからです。

自分のユーザーを見ず、自分で勝手に「よかれと思って」サービスを行うのは、支援ではありません。自己満足と言います。自己満足の図書館では、利用者の支持を得られるはずもありません。

図書館に限らず学校でもそうだと思いますが、せっかく新しい図書館なんてことを構想しているんです。お客様とお店ではなく、お上と庶民ではなく、もっとフランクに、互いに支えあえる関係を築けたらいいと思います。