図書館学徒未満

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「市民の図書館」から「市民活動の図書館」へ pp.44-pp.54

こちらで論じられている基本的な主張は、以前取り上げた税金を使う図書館から税金を作る図書館へ』とほとんど共通しています。
しかし、こちらの『「市民の図書館」から「市民活動の図書館」へ』の方がよりストレートに主張が表れているため、松本氏の図書館に関する思想に最初に触れるには『税金を使う図書館から税金を作る図書館へ』よりもこちらの方が向いているかもしれません。
註も人文学系の論文のようにびっしり書き込まれており、読み応えがあります。

松本氏は本稿の中で、図書館と市民との関わりを歴史的に概観し、これからの市民に対する図書館の役割を論じています。

日本での図書館による市民への奉仕の歴史は、1960年代初頭に、前川恒雄氏らによって日野市の図書館から生まれています。所謂「中小レポート」と呼ばれる『中小都市における公共図書館の運営―中小公共図書館運営基準委員会報告』、名著『市民の図書館』『新版 図書館の発見 (NHKブックス)』が生まれたのもこの時期でした。

この時期の図書館運動は、全域サービス、及び子どもと主婦をサービス対象の中心にすえることで全国的な広がりを見せました。日本が農業社会から高度経済成長を経てサラリーマン社会と変化し、そのため余暇が増えた子どもと主婦をターゲットにすることで、図書館は隆盛の時代を迎えたのです。

このときの図書館の姿を、松本氏は「市民の図書館」と呼んでいます。


しかし「市民の図書館」は、情報消費者をターゲットとすることで、同時にサービス対象から働き手を取りこぼしてしまったのです。

ライターや研究者や起業家などの情報生産者としての市民や、実際にものをつくったり売ったりしている商工業者は、(図書館の)視野から外れてしまった。戦前の社会が、農村社会であり、農民というのが生産者であり、自分で事業を行っている人々であったのに対し、戦後の高度成長期以降は、生産は企業が行い、人々は消費者になっていく過程であった。
(前掲書 p.48)

そんな環境の中、図書館は情報消費者である市民の放埓なリクエストに逆らえず、ベストセラーの本ばかりを入れ、レファレンスを疎かにし、市民による生産活動に必要なものを供給する力が落ちていきました。


松本氏は、そのような「市民の図書館」の現状を批判し「図書館は、既存の組織を飛び出て、自分で何かを作ろうとしている人々を支援する場所、ともにある場所であるべき(前掲書 p.51)」と主張し、そのような図書館を「市民活動の図書館」と読んでいますが、

そんな中で「図書館は、情報を生産することにも支援を行わなければいけない、単なる貸し出しだけではいけない」ということを言うと、それは『中小都市における公共図書館の運営』以前に戻ることだという批判が、くる。
(前掲書 p.49)

と訴えています。

実は、個人的にこの「中小レポート以前に戻ることだという批判」が理解できなかったのですが、しばらく考えて理解できました。
これは、図書館をある種の「お上」的な権威ととらえている考え方であり、その思考の中では「図書館による情報生産の支援」とは、「お上」が「庶民」に向かって「こういう情報をあなたに与えるから、これこれこういう本を読みなさい」と指導するようなモノに見えてしまっているのですね。

当然、松本氏の主張する「市民活動の図書館」とは、そんな前時代的なものではありません。

注意して欲しいのだが教養主義への逆戻りではなくて、次の次の段階に入りつつあるということだ。上から降りてくるありがたく役に立たない教養でもなく、情報を単に消費するような消費主義でもなく、新しい何かを作り出す情報。
(中略)
図書館は、市民のための情報の拠点になり、市民のための大学であり……(中略)……情報と市民活動の支援の基地になることが求められている。図書館が本を消費するところではなく、本が生まれるところから、かかわっていくべきなのだ。
(前掲書 pp.51-pp.52)

松本氏のこの結びの段落は非常に熱意にあふれたものであり、読んでいるだけで力が入ります。


この松本氏の稿にははっきりと書かれていませんが、この「市民活動の図書館」のあり方は明らかに菅谷氏によるニューヨーク公共図書館の報告に影響を受けています。
やはりニューヨーク公共図書館は、図書館の一つの理想型です。そっくり真似はできないし、する必要もありませんが、その例から多くを学ぶことはできるのではないでしょうか。