図書館学徒未満

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公共図書館って無くても死なないよね? その3

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※今回、勢いで書いた大分口の悪い放言です。胸糞悪くなった方はごめんなさい。
※お前が言うなってのは全くその通りだと思います、すみませんorz



はてなブックマークの[図書館]タグがちょっとだけ盛り上がっています(?) 読んだよー\(^o^)/!!


……。


……なんというか、当時色々と考察をなさっていた方には失礼かもしれませんが、本質的な議論がちょっとなされてない部分があるな、という印象を受けました。


「直接利用している人は少ないんだから税金じゃなくて自分の金でやれよ!」という主張、そんなことを言うなら警察も救急車もお世話になった人の方がお世話になったことがない人より少ないでしょうから、廃止していいですね。それぞれ自腹で警備会社と契約するなり自費で救急車呼ぶなりしてください。

「無くたって死なないんだから無くてもいいだろう!」という主張、無くたって生きていけるモノは世の中一杯あります。上下水道が整備されてなくても電気が通ってなくても人は生きてきたし、現に生きていっている人は世界中に沢山います。そういう意味で電気もガスも水道も公教育も生活に「最低限」必要なものではありません。無くてもいいですよね。

「図書館が無くてもインターネットで十分だ!」という主張、パンが無くてもお菓子を食べればいいですよね。人間、カロリーメイトだけでも結構生きていけますよ。米絶ちでも五穀絶ちでも肉絶ちでもお好きなダイエットをなさればいいと思いますが、他人にまで押し付けるのはどうかと思います。*1


上記の問答は全くの屁理屈です。主張になっていなければ反論にもなっていません。小学生レベルの口げんか、ひとかけらの生産性もない不毛な言い合いに過ぎません。こんな議論したいなら「図書館」という言葉を使う必要もないというか、「図書館」を任意の単語に代えれば似たような議論をあと7つくらいできる気がします。
大体当の図書館は、こんな不毛で消極的な言葉で自らの存在理由を云々されて微妙な気持にならないんでしょうか。不思議です。


なんかこう、図書館が乗っかるべき議論の俎板ってそういうのじゃないんじゃないですか?もっと違う切り口から図書館の存在意義を論じるべきじゃないですか?


というのが今回の趣旨です。

*1:そもそも図書館の扱う資料は書籍だけではないんだよね〜、という方向の反撃もあり得ますが、それは別の機会に取っておきます

図書館で、うちらは一体どうなりたいの?

図書館はほっといても地面から生えてきたりしないので、誰かが設立しなければ存在しません。たとえば公立図書館であれば、その自治体が「図書館欲しいから作りましょう」という決断をしないかぎり、図書館はその自治体に無いはずです。つまりすべての図書館は、誰かの「願い」と「計画」によって生まれてきていることになります。
その「願い」と「計画」に目を向けませんか?


図書館を作ることで、その自治体は何を願ったんでしょうか?街角に芸術と文学のあふれる文化的な街になることですか?子どもたちが読書に親しみ、健やかに学び育つことでしょうか?豊富な情報により産業が活性化することですか?住民に娯楽を提供することですか?立派な図書館を設立することで、対外的なアピール効果が欲しかったんでしょうか?一口に「図書館欲しい」って言っても、その願いの中身は千差万別なんじゃないんですか?


図書館がある目的の産物である以上、その存在意義を評価する方法は只一つです。すなわち「その目的を達成できているかどうか」で判断する。だから「図書館要るか要らないか」の話をするんだったら、その前に「我々は一体どうありたいのか」という話をするべきだと思います。*1


人が、学校が、村が、街が、市が、県が、地方が、国が、今後どうありたいのか、どうなって行きたいのか、その為に図書館には如何なる役割を期待しているのか*2、公共性ってそういうことじゃないの?民営化良い悪いとか存在意義云々というのはその先の話です。*3
一度目的さえ定まってしまえば、後の調査は困難でしょうが不可能ではないと思います。心理学、経済学、教育学、社会学などで蓄積された調査ノウハウも力になってくれるでしょう。調べにくいことを調べようと奮闘しているのは図書館だけではありません。*4


ここで言う目的ですが、たとえば大学図書館学校図書館では「学生・児童・生徒の勉学を支援する」という非常に漠然としたものながら大義名分がまずありますし、公共図書館に関して言えば中小レポートで提示された図書館像、「市民の図書館」や「これからの図書館」などの「公共図書館は大体こんな感じでやっていったらコミュニティの役に立つんじゃないの?」という指針があったりしますね*5。なかにはそれらに振り回されている図書館(員)もあるみたいですが。


そんな中、ともすれば振り回されそうな「大きな物語」に動じず、自分がそのコミュニティ内で果たすべき役割を果たそうと淡々と努力し続ける浦安市立図書館には頭が下がります。「利用者に奉仕する」ってことは、自分の役割を理解して初めて可能な行動であるということを忘れないようにしたいものです。

*1:そういう点で「Public library の英国モデル」で紹介されている「ハウスからライブラリーへ貧者を移送せよ」という主張はいい流れの議論だと思います。

*2:図書館はコミュニティに隷属しろという話ではありません。念のため。

*3:中には「図書館」という存在そのものに絶望してしまっている人も居るみたいです。図書館がどう足掻こうと、もうどんな期待も抱けないと思っている人はいますが、その人たちへの反論(?)はまた別の話です。でも絶望させてしまったという事実から逃げるべきではないとも思います。

*4:もちろんもっとミクロなレベルでの調査・測定、たとえば閲覧室と貸し出しカウンターの動線と効率について研究したいとか、そういうのはまた別の話ですし、本稿では論じません。

*5:そういう指針を持ってきて「この図書館の存在目的がこうだとしたら、現状はちょっとその目的を達成しているとは言えないんじゃないの?」という議論はまだ建設的だとは思います。

ぼくわたしのゆめのとしょかん!

※以下、蛇足。


図書館の現状や存在意義などについて批判するには「図書館は元来○○であるべきなのに、この図書館はそれができていない」という、理想と現実とのギャップを指摘するやり方が建設的なんじゃないの、という話を長々として参りました。


これを腰を据えて実践するとしたら、一度「ぼくわたしのかんがえるゆめのとしょかん!」*1を各自考える、という作業が必要になります。なんかそういうテーマで色々妄想するのは楽しいなw
例えば「利用している人なんて少ないんだから〜」なんて主張する人は、裏を返せばその人の理想の図書館は日々住民の9割が押し合いへし合いしている少なくともなみはやドームくらいの広さの図書館で、周辺は門前市をなし大賑わいの図書館なんだろうし、「インターネットで十分!」なんていう人にとってはネットだとお金を出さなければ閲覧できないような記事や、ヤバすぎて一般には公開できないような激裏資料が満載で、かつ週代わりで有名ブロガーが録画禁止の非公開セミナーを開催しているような図書館なのかもしれません。


図書館を批判する行為は、裏返せば「図書館はこうあってほしい」ひいては「我々はこういうコミュニティで暮らしたい」という主張にもなりえます。直視すると鬱になる現状は周囲にひしめいていますが、たまには理想の図書館を妄想してニヤついてみるのも楽しいのではないでしょうか。

*1:って平仮名で書くとid:Hamachiya2 氏みたいw